オランダの友達が送ってきてくれた新聞の見出しが「日本人は心配してない」だった。心配してないんじゃなくて多分「直視したくない」「考えたくない」の方が近いんじゃないか?って思った。
考えだしたら今やってる仕事ができなくなるって言う声も聞く。それは悲しいけど正しいと思う。仕事ができなくなるくらいの事態に直面していて最悪な事に僕らはそれから避ける事がもう出来ない。
僕は一年に一回歯医者に行って歯石を取りにいく。先々週もその歯医者で最後の支払いの時に女性の先生に「日本は大変ねー、政府が嘘をつくのね」って言われた。ほんの立ち話の時間内で「政府が嘘をつく」っていう言葉が出てくるってすごいと思った。
管首相が「8月末に『原発か非原発か』という国民投票的な衆院解散・総選挙を断行する可能性がある」らしい。また別に国民投票の実現を推進している人達もいる。
ベルリンのみんなと話をすると国民投票したら「原発賛成」になるんじゃないかって言う結論になる。青森と東京の選挙結果もそうだった。それって恐ろしい。それは地震大国に存在する直接的な原発の恐ろしさが続くってことだけじゃなくて、二度も被害を受けてもなお原子力に対してYESと言う国の国民になる事がものすごく恐ろしい。
「段階的な廃止」と言うのは日本国内では絶対的な模範解答だ。でもそんなの海外から見たらお利口な国民=洗脳された国民と同義語でそんな人間として血の通っていない答えをだすような国民は信用される訳が無い。会社よりも家族を優先して初めて人間として認められるべきだ。社会よりも個人を優先して初めて幸せな人生としてみられるべきだ。人間はそれぞれみんな好き勝手に生きるべきだ。
それを阻止する為には出来るだけ早い時期から声に出してそれを表明していかなくちゃ行けない。議論をしてなんで段階的な廃止がダメなのかを突き詰めていかなきゃ行けない。血の通ってない人間は周りに死ぬほどたくさんいるってことだ。それを考えると眠れない。
村上春樹のバルセロナでのスピーチが毎日新聞のサイトからも共同通信からも削除されている。YOUTUBEにも以前はスピーチの最中の姿を見ることができるビデオがあったのにそれも消されている。そして藤原新也を筆頭にこの村上春樹のスピーチを批判する人がいる。これほど悲しいことはなかった。本当に悲しい。自分で自分の首を絞めるって事だ。自分の身の丈を客観視しないで足の引きずりあいだけしてたら内輪もめをしている間に日本は無くなっちゃう。それって井の中の蛙ってことなんじゃないか。井戸の中でゆで上がる蛙ってことか。
でも一方で「村上春樹のスピーチを多言語に!!」って言う沢山の人の願いを実現しようとしている人達がいるのはすごく励まされる。ありがとうございます。千里の道にはフランス語、英語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語にほぼ翻訳完了と書かれている。もっともっと訳されてもっともっと僕たち日本人の気持ちがこんな素晴らしい形で世界中の人に伝わったら良いと思う。そして僕らは種まきの作業を辛抱強くするように倫理と規範を一人一人が意識を持って作り直さなきゃ行けない。
それ以外にも海外のニュースを日本語に訳してくれている人達に感謝したい。ありがとうございます。
Essays like this are so important to broadening people's horzoins.
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