去年行ったベトナムのハノイは民族衣装を売っている店を回るのが一番面白かった。民族衣装や工芸品が全て集まっている民族博物館に通うのは更に面白かった。ベトナムには54もの少数民族が存在する。その一つ一つが異なる生活様式を持って生活しているから一つ一つじっくり見て行くとあっという間に時間が過ぎる。そしてこの博物館がちゃんとしてた。村と社会、住居と気候、宗教とお祭り、農業と飲食、工芸と装飾が広く深く展示されていて見て面白いものが沢山あった。何処でも旅先で博物館に行くのは面白いけど、アジア、しかも同じ中国の影響を強く受けた国同士としての違いや類似点を見るのはヨーロッパでは味わえない醍醐味で格別だった。
そんな少数民族を実際に見に行く為に北の山に行った。街中に沢山ある旅行会社の一週間ツアーを利用してだ。夜行列車を降りて早朝の到着駅からマイクロバスに乗り換えて山を目指すのは10人くらい。日本の国道景色とあまり変わらない平地を抜けて、ギアを2速にして不安なガードレールを何度も越して1時間ぐらい山を登るといつの間にか映画のセットに入り込んだような風景になる。農作業へ向う民族衣装の女性や子供達が斜面の上や車道に現われ始めてマイクロバスに乗る僕らをじっと見ているようになる。そんな僕らも目を丸くして向こうを見つめる。視界が広がると延々に続く段々畑におおわれた山や岡が見える。ずっと向こうまで。そんな段々になった水田のあっちやそっちに点々と見える鋤をひく水牛と上半身はだけた男達。鋤を肩に担いだ民族衣装の少女達の集まり。向こうの峰に見え隠れするトラック。村々からまっすぐ上がる煙の柱。
泊まることにしたホテルの庭には白い二人乗りのブランコがあってそれはバラの造花で飾られてるし、鉄パイプを電動のこぎりで切る音が山々にこだましてるし、昼間は下の家から流れるちゃらちゃらした重低音にうんざりだったし。でも市場で物売りに来た母と娘に誘われるまま山の彼女達の家に連れていってもらったのは面白かった。行きは歩いて4時間かかって汗だく。帰りは二人乗りバイクを分乗して小雨の中を数十分だった。
家につくと酔っぱらったお父さんが出て来て踊り始める。なんだかぶっ飛んだお父さんなので僕も調子を合わせているぶんには良いんだけど、ちょっとお父さんの度が過ぎると娘と母がしっしっと向こうへ追い払ってあからさまに邪険にし始める。英語がしゃべれるのは女性達で男は英語がしゃべれなかった。だから僕らのような観光客からお金を稼げるのは女性の役割で彼女達は実際的で強かった。お父さんは壁の向こう側で丸くなって寝てた。偉そうにしてなかったのは良かった。
そんな家には街で飾られている民族衣装が全て実際にまだ使われていた。僕らが面白がっている様子に興味を持って、母と娘達は古くて使ってない物をどんどん出して来てくれる。寝床の上の竹かごの中とか、向こうの部屋とかから。家の中はどこも日が当たらない所はなんとなくじとっとした暗さをしている。床は土が踏み固められて光ってる。その奥がどんなふうになっているのかあまり知りたくない&見たくないこの感じは子供の頃田舎で感じたあの感じだなと思いながら。しゅるしゅる、じとじと、しゃかしゃか、にゅるにゅるって言うか。
かごの中身は大事に畳まれて収納されているけどじっくり時間をかけて燻されてもいる。手に取った瞬間から香ばしく煙い。でもそれを広げると気が遠くなるような幾何学模様の刺繍で一杯のすね当てとか、小さい銀の球状ボタンが沢山ついたきれいな藍染めの上着とか、蝋染めの模様が入ったぐるぐる巻きのスカートとか顎が床に落ちるほどの服や工芸品が出てくる。子供を背負った親戚のおばさん達も集まってくる。犬がきゃんと追い払われる。鶏がこけっこーと逃げまどう。
おばさん達が見せてくれる物をじっくりと手に取って眺めるのは、ミラノのブティックに並ぶハイヒールの飾りの面白さに興奮するあの感じと全く一緒だ。違いは価格と売り子の身長と服から立ち上る匂いの質だけだ。 とか思いながら。あはは。
洗濯して空気に触れさせて一年経ったら匂いもすっかり無くなって僕らの家のいろんな所に馴染んでいる。竹で出来た米を入れるかごも弓を持ち運ぶ為の背負子も乾燥して割れる事も無くまだきれいだし、各民族を写真で解説した本類はうちの一角を占めていて必要に応じて登場する。
なんでベトナムを思い出したかと言うと、ハノイで煙草をやめてから一年経ったなと思いだしたから。一周年。レストランでも吸えるポルトでの誘惑にも負けずに。一年前までは一日一箱吸ってたのに。いえい。煙草の中毒性はものすごいから今でもまだ考えるけど体と頭の爽快感は何物にも代え難い。昨日は天気がよかったのでクロージングだった小金沢健人君の展覧会へケーキ男のカイとスベニャと自転車で往復40キロ走った。慣れない長時間だったのでお尻が痛かったのと太ももが疲れたのを別にすれば苦しくもなく筋肉痛も無かった。快晴の25度だった。
At last some rationality in our litlte debate.
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