なんと一年以上もご無沙汰してしまいました、すみません。
まずは以前のライブからYouTubeにいくつかあげたのでURLなんぞを。

わりと若い時のやつ。

http://yt.cl.nr/KpJ1qtcjTXg
http://yt.cl.nr/WzNdp2NeCIo
http://yt.cl.nr/wbj1zCYVrqM
http://yt.cl.nr/e3L3n1QUZag
http://yt.cl.nr/JECuEmbNCSE
http://yt.cl.nr/n3KdFSmpgpE
http://yt.cl.nr/KyMxbRXqp-k
http://yt.cl.nr/prug6KuvWAQ

それから今年のインプロのシリーズから。
これからの、ちょっとボリュウム小さいので、ゲイン上げて聞いて下さい。
http://yt.cl.nr/SrQ4j0zJHVk
http://yt.cl.nr/MkzQWeSRfXU 
http://yt.cl.nr/bDq02jAVZyE
http://yt.cl.nr/Out-VMsRnk4
http://yt.cl.nr/aNcZ5dtJpCk
http://yt.cl.nr/T2nEAW4-ykM
http://yt.cl.nr/9yl5f7GXxEU
http://yt.cl.nr/Ovstt_ptQLs

知らないうちに誰かがアップしてたやつ。

http://yt.cl.nr/yEUf7d6Detc
http://yt.cl.nr/yAd31cYPHdo
http://yt.cl.nr/rtlPC_Ugc7w
http://yt.cl.nr/8qgmHMywhP0

先日、5月末から6月21日までプラハとウィーンに出かけてましたが、その模様などもこれからアップしていきますので宜しくです。

4月28日にオープンする、二子玉川の高島屋の近くに出来る新しいライブスペースの改装のために、4月1日から島根の山村から大工さんの親子が家に泊まり込んでいて、朝8:30から夜の10:00頃までほとんど毎日、一緒に現場に通って、内装の部分的なアイデアと工事を手伝ってます。オープニングアクトのライブシリーズの中、YAS-KAZも5月5日(こどもの日)に久しぶりにセネガルのドラマー達とサバールを中心にしたライブをやります。このライブスペースは前掲の金森さんのP.A.会社が改築経営していくもので、僕も定期的にプロデュースに積極的に参加していくかたちになります。5日共演のセネガルドラマーは、Wagane Ndiaye Rose (ワガン  ンジャエ ローズ)Latyr Sy (ラティール  シー)、Elhadji Aria Ndiaye(エラージ アリア ンジャエ)、Aboulaye Ndiaye Rose (アブライ ンジャエ ローズ)の4人です。今後、自分のソロやバンドユニットを始めとして、様々なスタイルの音楽の多様性と可能性を、一つ一つ丁寧にプロデュース発信していきます。'95年〜'00年のサロン ド サバールや、'01年〜'03年の明治神宮以来休止していたサバールのワークショップも、サバールを中心としながら発展させ、他の様々な打楽器や他の楽器とのオリジナルなアンサンブルサウンドを作り上げることを目標に、このスペースを母体にして展開してゆくことになります。
 まずは5月5日のYAS-KAZ SABAR NIGHTを宜しく。

 この度の大震災と津波による犠牲者のかたがたのご冥福を心からお祈り申し上げます。また被災された方々の心と被災地の一日も早い復興を願っております。
 僕の出身地の宮城県亘理町というところも、海側の荒浜地区等太平洋側は壊滅状態ですが、実家の姉や仙台の身内等全員の無事が確認されて、とりあえずほっとしてはいるのですが、何よりも原発事故の今後の動向と影響が危惧されます。亘理町は福島県境の太平洋側で相馬まで60km位ですから、放射性物質の飛来はどう考えても避けられません。
 このところずっと原子力関係の正確な知識を求めて、様々な情報を探っていますが、正しいと思える情報を知れば知るほど、ますますとんでもなく大変で深刻な事態なのだと確信しています。日本のマスメディアのほとんどが何と信用できかねるのだろうかと呆然としますが、僕自身も含めてほとんどの日本人がいかに無関心であったのかと思い知らされてもいます。世界で唯一の原子爆弾の被爆国であるにもかかわらず、今回の事故で世界中に汚染物質をばらまく国になってしまったわけですからね。自然の大災害が引き金になったとはいえ、想定外と繰り返されるたびに、自然に対していかに人間がちっぽけで無力で脆弱な存在であるのか、その人間のおごりが引き起こした人災であることを個人のレヴェルでリアルに思わずにいられませんね。
 ドイツなどの海外の情報や広瀬隆氏や広河隆一氏、田中優氏の見解などがとりあえず核心的で正確だと思います。
 
 僕自身、これからの生き方の根本的な見直しを突きつけられている気がしています。
白カラスのウォング氏と元カシオペアの向谷実君とサンプラザ中野君のネットイベントに参加しました。

先月の24日からオーストリアの友人の美術家で、映画監督でもあるエドガー-ホーネットシュレーガーが、彼の新しい映画のためのビジネスツアーで来日していて、僕の家に10日間程滞在していたこともあって、ブログ書くのちょっとさぼってました。
 さて、今回はどんなことにしようかなと思っていましたが、先日、これまた10年以上も会っていない彫刻家の友人から電話があったんだけど、ちょうどその日の前日か前々日に、ネットサーフィンをしていてなんとなく彼のホームページに行き当たってね、僕が昔('80年代の終わり頃だったと思うんだけど)彼の作品の個展の為に書いた文章がほかの人のとともにのっていて、読んでいたら、誤植や脱字なんかの細かい間違い、でもそのことでニュアンスや意味が変わってしまうような間違いに気づいて、添削したりしてたんだよね。そしたら突然電話があって、いやあしばらくだねえ、っていったら案の定そのホームページに掲載された僕の原稿のことで、事後承諾の電話だった訳です。以心伝心のよくある話なんだけども、皆さんも経験してるんじゃないかなあ、ある人のことをふと思い出したら、直後に本人から電話がきたりするようなこと。ユング派の心理学者の故秋山さと子さんと赤瀬川原平さんの対談で、「異次元が漏れる―偶然論講義」という本があったど、ありふれた日常の中に忍び込んでくる、こんなシンクロニシティって一度や二度はみんな経験があるんじゃないだろうか。そんなわけで、彼と初めて出あったバリ島プリアタン村のことを思い出したのですが、前々回のブログで書いたように'74年に初めて訪れてから、20年間で20数回行き来したようなところなので、ここでは書ききれないと思うので、とりあえず彼の個展の為に書いたのを、以下に転載します。

   <風の源、火の作法、水の祈り、木の叫び>
 バリ島プリアタン村から、夜明け前に、モーターバイクで出発。ゴア・ガジャ(象の洞窟)、ペジェン村のプナタラン・サシ寺院(月の寺院)を通りすぎて、タンパクシリン村グヌン・カウィに到る。
 長い階段の途中で沐浴して、谷間の寺院に降り、王族の瞑想場に入る。無為の時を析るように味わう。 左の傍に彼の木彫の一つが端座している。濃密で瑞々しい空気、湿った岩肌と植物の匂い、せせらぎや、虫達の声。鳥達が眼覚める頃、私の中の何かが覚醒して、彼の彫刻から放たれる波動のシャワーを浴びる。静かで力強い至福の時。
 大地の荒々しいエネルギーを無傷のまま浄化する、非物質的な装置。

 まだ午前の内に再び、バイクで山の方に向かう。バトゥール火山(海抜1717m)の外輪山系(アバン山2153m、プヌリサン山1745m)の尾根づたいに点散する村々(約1300m前後)の一つペネロカン村から、バトゥール山と右手下方に広がる三日月湖バトゥール湖(幅約3㎞、本弭から末弭まで約7・5㎞)を見遥かす。足下の本弭にクディサン村、末弭にソガン村。左手、弦の中間部にトーヨブンカ村、対岸の弓の中間部にトゥルーニャン村。
 クディサンの舟着場まで降りて、波打際の岩に座る。快晴、溢れる陽光が、揺れる波の幾千幾万の鏡に反射して輝いている。光の乱舞。一匹の青い蝶が、向こうから、湖面すれすれに渡ってきて、左の肩に停まる。深呼吸するように、羽を開閉している。ああ、まぶしい......。
 バトゥール山麓の黒い溶岩の山肌の中の道を走って、トーヨブンカに到る。波打際を岩石で仕切っただけの浅い温泉に漬かる。砂の底、無色透明のぬるま湯の中を小魚の群れが泳いでいる。全身を横たえて浮かぶ。蚊はここまで上がってこない。耳は湯の中、目鼻、口はそよ風の中。優しい温もりと静寂。水の輪が寄せては返して、複雑な波紋が身体の際を愛撫していく。柔かい日溜り。

 仕切りを越えて、清涼な湖面の水を切って泳ぐ。シューッ、シューッと、得体の知れない巨大な生物の呼吸のような水中音があって、根源的な畏怖感が湧き起こり、湖の中心にこれ以上進めない。水を宥めるようにして泳ぎ帰る。湖のどこか最深部にも、彼の彫刻のIつが潜んでいるのだろうか。

 舟で対岸のトゥルーニャン村から300m程北の風葬場の舟着場に着く。トゥルーニャンとは白檀の意味で、白檀の大木の下、竹を荒目で編んだ囲いの中に一体ずつ、白骨死体が横たわっているが、腐臭もなく、自然に乾燥して風化していく。女声のアルジャ(バリのオペラ劇)の一節が聞こえてくるのに魅かれて、舟着場に戻る。湖に張出した木の桟橋。湖面は柔かい襞の天鵞絨(びろうど)のように凪いでいる。岸は10m程の切立った岩壁。傾き始めた陽が右手ななめ前方から、湖面に、揺らぐ光の道を作っている。天然の水舞台。初老の女が丸木舟を操りながら歌っているのだ。
 12才位の男子が、もう一艘の丸木舟で寄りそっている。魚をとっているらしい。光の道をゆっくり向ってくる。素晴しい高音の地声が湖面に響き渡り、複雑にうち震えながら天空に消えてゆく。
 そうだ、きっとここは風の源。天地の間の巨大な鞴(ふいご)の源に私は立っているのだ。

 トーヨブンカからペネロカンに戻り、尾根づたいにバトゥール村に到る。陽もすっかり暮れかかっていて、先程の天気が嘘のように、霧がかかってくる。風もでてきた。いや、むしろ雲の上にいるというべきか。空は高くて、明るいのだが、尾根の周辺だけ霧に包まれているのだ。バトゥール寺院に入る。誰もいない雲の中の寺院。ふと、不思議な音に囲まれているのに気づく。

 風が遥か彼方から運んでくるような、秘やかでかすれた笛の音の群れのような音。スナリの音だ。

 大きな祭りの前日に、竹棹を寺の四方の高い所に立てる。竹には一節ごとにスリットが入っていて、風が笛のように演奏していくのだ。悪霊を海に追いやるための悪魔払いの音響装置。

 しばし方向感覚と重力感を失ないそうになる。境内の中央の地面すれすれに浮いている彼の作品。
 雲の切れ目からの月の光を集めて、青白い光を照り返している表面、触れることのできそうな光。
 しかし、この青白い炎のようなオーラの炉心部には、想像を絶する熱度と速度があって、容易に触れることはできない。

 これら、バリ島に遍在する深い場所と時間には、きっと彼の彫刻が潜んでいるに違いないと思うのだが、それは、彼の作品がバリのスタイルだということではなく、むしろまったく異質な彼独自のスタイルでありながら、バリの文化、宗教の最深部と通底し響きあっていて、それらに桔抗する強度を勝ちとっているからだと思う。世界の臍で彼は何を観たのだろうか。
      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 当時の自分の中のバリ島での思いや在り方が、少しわかってもらえるかもしれないと思ってまるごと転載しました。

 さて先程のシンクロニシティの話なんだけど、僕はずいぶんと昔から、特に一人で外国を旅しているとそうゆうのが集中して起きるんだよね、それはちょっと日常の中で起きるのとはまたちょっと違っていて、その後の自分に多大な影響を残すような、結構強烈なことだったりしてドキドキしてしまいますねこれは、いやほんとに。

 バリ島というかインドネシアへの最初の旅でも、ジャカルタの空港に着いたその夕方から、信じられないような偶然の出会いや巡り合わせに導かれるようにして、夢中で旅してまわった2週間後には、気がついたらプリアタン村のプリ-カレランで故A.A.Gde Raka Bawaさんという僕の最高のバリ文化の導師であり友人となる人と向かい合っていたのでした。バリ島のことについてはちょっと時間をくださいね、なにせ若いとき20代はじめの頃から40過ぎまで自分の半身がそこで生きていた感じがするような場所なもんだから、今でも特別な感情なしには語れないんだよなあやっぱり。

 次回は僕の体験した、様々な海外でのびっくりシンクロニシティの中でも、忘れがたい話を語ってみようかなと思います。
 

先月1月9日に、なんと40年ぶりに「白カラス」というフリーインプロヴィゼイションのトリオのライブを江古田BUDDYでやりました。
僕が東京に出て来て最初に参加したバンドなんだけど、サックス、笛の山本公成氏と、ピアノのウォンウィンツァン氏(当時は江夏健二という日本名で活動してたとのトリオで、二人とも僕より少しだけ先輩で、でも誰がリーダーという訳ではない三人バンドでした。今となってはどうやって三人が出会ったのかよく覚えていないんだけど、山本さんとは1970年前後の頃、当時の新宿ピットイン(最初の場所は紀伊国屋の裏の並びにあって、その後僕が全く行かなくなってから真向かいに移って、またまた新宿二丁目のはずれのほうに移ったのかな、その間に六本木ピットインも出来て、無くなって)その最初の新宿ピットインの二階にニュージャズホールというのがあって、フリージャズとか前衛的な映像作品の上映会とか詩とジャズの会とかをやっているところだったんだけども、そこで、'69年頃にベースの吉沢元治さんと山本さんのフルートの鬼気迫るデュオの演奏を観て、この人と演ってみたいと思って声をかけたのが始まりだから、ウォンさんは彼に紹介されたんだよな。そうそう、ちょうど彼らが二人でやろうとしてたちょうどそのタイミングで、分けわかんない若造だけど試しに一度やってみようかってんで入れてもらったんだと思う。それ以前の1967〜8年の頃、まだ仙台で高校生だった時に、葛西さんという仙台の素晴らしいジャズピアニストと、その後益子で陶芸家になる、僕と同じ中学校だった女の子と三人で上京して、そのニュージャズホールに、佐藤允彦さんや今田勝さんのピアノソロを観に行ったり、厚生年金会館で三大ジャズドラマーコンサートでジャック ディジョネットとベニー マウピンのメチャかっこいいデュオを観たりしたんだった。そんで高校を卒業した年にスキー部のでっかいキスリングリュックに毎回、本とかレコードを詰め込んで、田舎の実家から2往復半のヒッチハイクで家出を決行、新高円寺の2畳半のアパート4千500円也に暮らす身となったんだった。いろいろ思い出して来ちゃった、アハハ。色々アルバイトしたんだけど、ニュージャズホールのプロデューサーだった副島輝人さんにかけ合って、お掃除なんかの雑用をやるバイトにも雇ってもらって、ニュージャズホールのみならず、一階のピットインもただで出入りできるようになったんだっけ。そんなときに山本さんとは邂逅した訳でした。
脱線したついでに思い出すと、二階のホールったってえらい狭くて天井も低いライブスペースなんだけど、一階のピットインの向かって左脇に狭い階段があって登りきるとロビーで、左に受付のカウンターがあって小さな事務所スペース、その向かい側の扉の中は1、2階共用の楽器置き場、そして階段の正面の扉の中がライブスペースで右広がりの正面がステージ、っていっても客席とひとつながりのフラットスペースなんだけど、20人も入ったら満杯状態だったかなあ、それでステージの下手のところにまた扉があってね、そこを入ると真っ暗な通路があって、女の子といい感じになってそこまで首尾よくご案内できたら.......って言う感じだったんだけど、その通路は表の喫茶店に抜けられる訳。で、そのまま一階に下りると新宿三丁目の大通りに出て人ごみにまぎれてどっかに消えられるという流れなんだよね。だいぶ脱線しました、すいません。
 そんな時代から40年後に3人寄り集まってライブということになったんだけど、いやあ本当に面白かったんですよこれが。ちょうど2〜3週間前から生ドラムセットの面白さにこれもまた3~40年ぶりに目覚めてしまって家で叩き始めてたんだけども、3人共その後みんな別々の道を歩んで来て、それぞれの世界を作って来た訳でしょう、山本さんとウォンさん達は'90年代後半ぐらいに再会して、共演のアルバムも2枚出てるし、ライブもやったりしてたみたいで、僕も山本さんからその頃に連絡がきて知っていたんだけどね。自分の個人的な状況もあって、まだ機が熟してなかったって言うのかなあ。
それで今回きっかけはね、2年前に横笛の赤尾三千子さんのバルト三国ツアーにゲスト参加したときにP.A.オペレーター兼照明兼舞台監督の大活躍だった、金森さんという人と、メンバーで喫煙者が二人だけなもんで同じ部屋になって意気投合しまして、毎晩明け方まで話しが止まんない修学旅行の高校生状態だったんですけど、彼はオアシスというP.A.会社とプラスエアーという素晴らしいレコーディングスタジオの社長さんなんだけども、偶然にも、僕が2年半ほど前に引っ越してきて、古い木造の油だらけでぼろぼろだった工場を一人で改装して作ったスタジオ兼自宅のすぐ近所に、彼のスタジオも倉庫も自宅もアトリエも点在してて、でっかいリヤープロジェクションのTVをいただいちゃったり、いろいろとすっかりお世話になっている人なんですね。そいで、彼が大阪のほうで岡野弘幹君というミュージシャンのP.A.の仕事をしたら僕の話が出たってんで、家に来たときに電話してくれて。山本さんは長いこと岡野君と一緒に「風の楽団」ていうのをやってるんで、山本さんにやっと連絡できたという訳です。それで今度は山本さんがウォンさんに連絡ってな具合で廻って、僕がウォンさんに久しぶりに(10数年ぶりかな)電話したんですよね。それが去年の夏頃だったかな。そしたら12月にウォンさんから「白カラス」の3人でフリーのライブをやりたいんだけど、ってことでやろうやろうってなった訳でした。
 興味のある方はウォンさんのホームページに入ってみてください。1stステージの映像は無料ダウンロードも出来ます。
 なにより嬉しかったのは、3人とも現在形で前を向いて、大きな可能性を感じながら、これからも音楽できるんだということを確信できたことです。一週間ほどして山本さんから電話がきて、これは本当に奇跡だと思うといっていました。僕も音楽やっててよかったあと思える今日この頃です。
 

| COMMNET(233)

ブログ事始め

yaskaz_blog_1.JPG
皆さん初めまして、多くの人々のすなるブログというもの我もせんとて、ってな感じでブログってのをやってみることになりました。
今まで公にコミットする形で言葉で何かを伝えるってゆうのは頼まれた雑誌の原稿とか、自分や他のアーティストのプログラムに書いたりとか、そうゆうのを昔ちょっとやったぐらいで、極力避けて来たんだけど、お膳立てしてくれるスタッフの「何でも好きなことを好きなように気楽に書いてください、書けるときでいいですから。」というのに誘いだされてというか、還暦を目前にして、なんかいいたいことがいっぱいあるような気がして来てブログってのがなんなのかよくわかんないままに、もういいたい放題、誤解を恐れずに書いちゃおうっていう感じです。

第一回目はちょうど今やってる山海塾の日本公演新作「からみ」の東京初演の初日と、前作「とばり」の初日を見て来たので、そのへんからいこうかな。

舞踏との関わりは時代を遡って、1972年の土方巽四季の為の二十七晩』、当時の新宿文化センターという映画館で27日間、毎晩映画の終わった後に舞台を作って、たしか5つの作品だったと思うけど、2階客席の両側にあった張り出し席の上手のほうにはまだご健在だった津軽三味線の名手、木田林松栄さんが、そして下手に<音響箱>と土方さんが名付けた御簾で囲ったスペースに、ステンレスの板とかいくつかの楽器というか音の出るものをセットして、主に土方さんのソロの場面で生演奏をしたのが最初です。舞踏の創始者というか、もうその頃から伝説になってたような土方さんとのことを、衝撃的だった出会いから書こうと思うとそれだけで一冊本が書けそうな気がしちゃうから、また別の機会にするけど、二十歳そこそこの自分が毎晩、ほとんどステンレスの板一枚だけから生み出される響きで稀代の舞踏家と対峙した経験はその後の自分の在り方にとんでもない影響をおよぼしたことだけは言っておきます。

音楽というか音の響きというものに対しての彼の耳というか感性の鋭さは半端じゃなくて、何度か、何かとても深いところで、大げさにいうとほとんど宇宙的なスケールで交響している感じっていうんだろうか、絶妙で鮮烈な至福の瞬間があったのを昨日のことのように覚えています。
'73年の西武劇場こけら落とし公演「静かな家」の後、'74年の9月から一人で、初めての海外へほとんど何の情報も持たずに、インドネシアのジャワからバリ島へ、結果として4ヶ月半にわたる、度重なる偶然と驚きに満ちた不思議な旅に出るんだけど、そのときは、生前の土方さんとの仕事がそれっきりになるなんて夢にも思わなかったわけです。
11年後に、バリ島との関わりの一区切りとなった、'85年プリアタン村歌舞団日本ツアー、国立劇場公演の最終日に、芦川さんと二人で観に来てくれて、帰り際に「佐藤君、これは君がやったのかい?」「いえ、コーディネイトしただけです、これが片付いたら伺いたいと思います。」ということで、年末に後始末の為にバリ島に入って、年を越して帰国、三日目に新聞の死亡広告を見て愕然としました。これからあらためて土方さんとの仕事に本格的に参入しようと心に決めて帰って来た矢先だったから、本当に残念でなりませんでした。2003年に「夏の嵐」で音楽を担当したんだけども、やっぱり、まだご健在なうちに、もう一度ご一緒したかったというのが本音です。晩年に、アスベスト館という彼のスタジオにお邪魔したとき、「佐藤、人ってのは残念ながら死なないんだよな。」と、ふともらした謎のような言葉を思い出します。

 で、山海塾にもどるけど。実をいうとね、前作「とばり」を二年前に日本初演の初日で観たときも今回の新作「からみ」の初演も面白くなかったんだよね。そのまた二年前の作品「とき」がすごくよかったから友達をいっぱい連れていったんだけど、みんなでがっかりしてた訳です。

ところがね、今回再演の「とばり」を昨日(2月3日)観て来たんだけども、素晴らしかった訳。終わってから楽屋裏にリーダーの天児さんにお祝いをいいに行って話したんだけど、振り付けから照明から何から何まで変えてないっていう訳よ、僕には照明が前のときより少し暗めになったような気がしてたんだけど、それも変えてないっていう訳。前回も今回も吉田さんという友人と一緒に観たんだけども、彼も僕ももう全く違う作品を観てるような気がしてたんだけどね、同じ劇場でおんなじシチュエイションでこの違いは何なんだろうってことになる訳です。そしたら山海塾の音楽を長年やってるもう一人のミュージシャンの吉川君が新作の「からみ」も楽日(最後の日)はすごくよかったっていうんだよね。「とばり」はつい最近までアメリカツアーで踊り込んできたらしい。

やっぱりパフォーマンスそのものの出来不出来、つまりは踊りそのものの力によって、全く同じ作品が素晴らしくもなりまたつまらないものにもなってしまうという、まあ当たり前の話だけども、あらためてダンスと言うものの生ものさ加減を思い知らされた訳です。

いくら入念に振り付けされ演出されていても一つ一つの舞台の一回性が決定的なものである踊りというのは本当に厳しいもんだなあと。それを営々と世界を舞台に続けて来て今日の評価を獲得して来た山海塾と天児(あまがつ)さんにあらためて敬意を表したいし、音楽をやっている自分に問いかけてくる様々な位相の問題に向き合う為の勇気をもらえたことに感謝したいと思います。

「とき」という作品から13年ぶりに山海塾とのコラボレーションを再開したんだけど、とっても心配してたからすごく嬉しくて、今日はまだ見てない友人達に電話してお勧めしてました。

PROFILE

YAS-KAZ

60年代後半から坂田明、小杉武久、故阿部薫ら とセッションを始める。土方巽舞踏団や「山海塾」の為の音楽作曲、ウェインショーターとの共演等で成功を収め、国内外の音楽フェスティバ ル等に多数出演、国際的に高い評価を得る。
ジャズや現代音楽、世界中の民族音楽、生物の音声等の探求を通じて、広範なテリトリーを脱ジャ ンルし続ける、サウンドクリエイター。
壮大で幻想的な独自の音楽は、各界の注目を浴びている。
'01~ベネチアビエンナーレ招待公演から ヨーロッパツアー。'06年20枚目のアルバム "兎に角" リリース。'07 草月流80周年記念イベント「創流祭」(両国国技館 )の音楽監督。イタリア・パンタレリア島での国際的なコラボレイションプロジェクト"アルカディア"に招待参加。'08 再び"アルカディア・プロジェク ト"に招待参加。パリで江戸操り人形とのコラボレイション作品"牡丹燈籠"の音楽監督として、作編曲と演奏。 '09 2月、森山開次の 新作"狂ひそうろふ"の新国立劇場公演の音楽監督、作曲演奏。公演に併せて21枚目のアルバム"狂ひそうろふ"を リリース。バルト三国 ツアー、赤尾三千子の"蓮曼荼羅"に特別ゲスト出演。日メコン交流年2009記念「森山開次ソロダンス」ベトナム公演(サイゴンオペラハ ウスにて)の音楽監督、作曲ならびに演奏。

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