東京に住んでいるアラムが夏の帰省でベルリンへ帰ってきたので話をした。「7年間の東京滞在で初めて日本人が政治の話をしているのを最近見る」、「タクシーの運転手がドイツ人が何を考えているのか聞いてくる」、「ドイツも原発廃止までには30年の議論が必要だったから日本人もそれだけ時間がかかってもおかしくない」。でも日本人は過去4度も被爆している。
久しぶりに電話で実家のお袋と話したら「原発止めたら経済が成り立たないから簡単じゃないって」って言われた。なんか頭をがーんって打たれた気がした。1ヶ月前にはそんな事話してなかった。国民の意見が推進派の思惑通りに今形成されつつあるって思った。
「段階的な廃止」は「原発は良くない事は分かっているけど、代替エネルギーが無いまま即停止するのも非現実的だから段階的に止めていきましょう」ってすごく偏差値が高い模範返答だ。「Yes but No」もしくは「No but Yes」は結論を先送りにするって事で311以前の価値観とまったく同じだ。そうだ311以降日本は何が変わったのか?物わかりがいい被害者ってなんか都合のいいやられ役みたいだ。怖かったらNOって普通に答えるイタリアとドイツの反応の方が僕には断然人間的で親しめる。
日本では個人消費が日本経済を活性化する事に貢献するから良い事だと普通に誰もが答える。今日は買物したから良い事をしたって言う風に誰もが知らずうちに浪費を言い訳出来るようになっている。そんなのまじファックオフだ。
島田紳介にまつわる一連の報道もその事件の裏にありそうなスキャンダルも全部ファックオフだ。デモするほどフジテレビがいやなんだったら見なけりゃいいじゃんか。っていうかもういいかげん意味の無いテレビは捨てればいいじゃんか?ってことを10年言い続けたのにも関わらずうちの親は今でもテレビをずーっと見続けているのはなんでだ?お母さん、「テレビをほとんど見ない」と「テレビを捨てた」では全然意味が違うんです。ちなみにドイツではテレビを持っていない事が知的ステータスの一つでもあるので僕の回りでテレビを持っている人は数えるほどです。
ベルリン市は市長選挙が9月中旬にあるので今は街中が選挙ポスターであふれている。毎回エネルギー問題を第一に掲げていた緑の党は教育問題に争点がシフトした。もう原発議論は終わった事柄で次は教育なんだと言う事を街のポスターで実感した。でも原発で超緊急事態の日本の民主党の党首候補たちは誰も原発を争点にしない。世界中がずっこける。そんなに原発廃止って日本では非常識なのか?そんなに脱原発は日本ではタブーなのか?段階的に廃止って英語でなんて言うんだ?Gradual abolitionとか何とかって言うのか?うへーーーーーーーーー歯切れわるくてきもちわりーーーーーー。そんな説明絶対信用されねーーーーー。段階的な廃止最悪。Yes but No最悪。
僕は親知らずを抜いて噛み合わせが素晴らしくなった。こんなに良いなんて知らなかった。なんで今まで逃げてたんだろう?
What a joy to find such clear tihnknig. Thanks for posting!
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