Real Scenes: Berlin from Resident Advisor on Vimeo.
ジャーナリストの岩上安身さんが311以降言ったように今僕らは「ルールの無い野原の上に立っている」としたら、東西の壁が崩れた89年からのベルリンはある意味無法地帯で、その街がどうやって発展していったのかを知るのはもしかしたら今すごくためになる事かもしれないって思った。それっておおざっぱに要約すると「パーティーする為の権利を守る為には戦わないといけない」っていうビースティーボーイズの精神そのままなのかなって思う。
発展って書くとあらゆる街で起こっている資本主義が主体の発展を思い浮かべるけど、ベルリンはアンチ資本主義的な発展だった。それは例えばついこの間まで「無償」って言う物々交換の店があった事だし、「好きなだけ」支払える言い値の飲み屋はまだあるし、街中のビルボード広告の宣伝文句とブランド名だけ消していくグラフィティーアーティストがいた。っていう精神に日常的に全体的に触れている発展。
アンダーグラウンドで起こったDIYなものはある時期まで警察も市も放置した。多分他の事で手一杯だったからだと思う。だからどんどん地下室的な発展が続いていった。以前の店の看板をそのままバーの名前にして「果物と野菜」って言うバーが出来たり「金庫」って言う旧東ドイツの国の金庫を使ったクラブが出来たり、「防空壕」パーティーがあったり、「地下公衆便所」のバーは今は栄えてるローゼンターラープラッツの路面電車の駅の下にあった。
僕が来た2000年近辺はまだまだそれらがフルスイングで続いていた。季節が変わるとどこかに新しいバーやクラブが出来てって言う噂が広まってどーっと人の流れがすぐ変わって、暗い中庭に向って行列ができていて自転車が山と停まっていて泥でぐちゃぐちゃでロウソクだけが頼りの廃墟を入ると毛皮のDJがカントリーをかけて皆がピンポンして踊ってる世界。明かりは蛍光灯だけで。あはは書いておかしくなる。どんなところだそれ?
僕はそんな信じられないゴールデンタイムを数年間体験することができた。クリエイティブでフリーでほとんど通りがかりみたいな不思議な人達と沢山会って人生最高の刺激を受けた。それに動かされてKOI KLUBのイベントを始めてベルリン的な物に自分たちで参加した。いまは随分と減ったけどなんかの拍子にまだまだ強烈なベルリン的な物に出会う事がある。それでそれに遭遇するとにまーっと笑いが止まらない。でもそれはいつでも決まってすごく緊張する事でもある。それって僕にとって生きてる事を実感する時間だ。