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ドイツと日本の間で

この10日間地震のさまざまな情報を読んだり、インターネットで見たりした。地震のことも原発のことも大きな話題を世界中に呼んだ。特にここドイツではもともと多くの人がチェルノブイリの事故被害から「Atomkraft? Nein, danke!」(原発反対!でも直訳すると、原発?いいえ、結構ですとなる)で、デモもある。今年だと思うけれども新聞でたまたまチェルノブイリの事を読む機会があって(事故が起こって25年だから)原発の恐ろしさを知った。今回の事で、情報を得ようとネットで四苦八苦。そのうちドイツで騒がれるどれが本当の情報なのか迷った。そんな時はドイツ人友人と電話をして情報交換をするのと、どの新聞が一番よいのかということを聞くのが私の心休めになった。チェルノブイリのそれと、今回の日本のはあまり比較にならない程、日本の技術は発達しているというのが友人の意見だった。さらには原発に詳しい方から「ドイツで流れている日本の原発に対しての情報は100%確かなものではない」というメールをいただき私はほっとした。やっぱり何が怖いって放射能が流れ出て汚染される事だと思ったから。例えば土が再生するのに30年かかるという。半端ない年月だと思う。日が経って、友人たちから「大丈夫?」の電話やメールやSMSをもらった。答えは決まって「大丈夫。でも原発が。。。」。新聞では「規制値以下なら平気」のように書いてあると「へぇ?」と私はびっくりした。原発の中で働く人たちが受けてもよい数値を上げるというのにも。でも今妊婦である私に毎日配信されるメールのブログに「私たちは1年間に宇宙や、大地、空気中のラドンや食物から平均2.4mSv(ミリシーベルト)という量の放射線を受けています。」と書いてあってもっともっとびっくりした。(私はかなりの無知だということは承知)それじゃぁ仕方ないじゃない、と私は一瞬思った。でもすぐに「いや、仕方ないでは何も変わらない」と思い直したけれども。その「仕方ない->しょうがない」について興味深い記事があった。日本人と結婚をして一人息子のいるドイツ人女性が、ドイツへ帰って来た。彼女は「結束の堅い日本人のモットー、私たちは大きなシステムの中の小さな車輪、だからここに留まる」が彼らを日本に留めておくのではと言っている。「しょうがない」。彼女は独身だったらもうちょっと冷静に物事を見ていたかもしれないとも言っている。日本に暮らす間に地震には慣れた。もし今回原発の事故がなければ日本に留まっていただろうとも。私だって日本にいる間は地震に慣れていた。でもしばらくいなかった日本。今回の事で「そうだ、日本には地震があったんだった」と思った。私たちは7月に帰国予定だけれども、電話で友人たちに言われるまで帰国を延期するなどということは頭になかった。第一に、家族が離ればなれになるというのが嫌なので一緒に居たい。でも産まれて1ヶ月ちょっとの息子は?今まで1人で気楽だった私に重い現実がのしかかる。地震が起きてすぐに津波の映像を見て、ものすごいショックを受けた。その後もさまざまな記事を目にするたびに、気分は落ち込んだ。それでも産まれてくる赤ちゃんや、その現実にいる妊婦さんはたくさんいると思うと私がそんなでいいのかと思う。家族を捜している人、捜せなかった人、被災地で寒さでなくなるお年寄りもいると聞く。現地に赴く医師、看護婦さん達の話を読むとどれだけ過酷なのかが読み取れる。津波の映像をみてて思ったのは「自然の力は怖い」。予測してもしきれないことがあるから。いくら技術が発達して、以前載せたような胎児を写真でみれたとしても、産まれて来ないと分からない事もまだまだたくさんある。この先日本はどうなるんだろう。私はどうすればよいのだろう。2001年9月11日にあった同時多発テロの後、当時通っていた語学学校のアラブ系の子に「くるみ、満足?」と突然聞かれた。「え、何が?」「アメリカがやられたでしょ。君たちは彼らに長崎と広島に原爆を落とされた。辛い思いを彼らによってさせられたんだ」と彼は言った。私は酷いショックを受けた。私にとっては人が殺される事によって「報復」だとは思っていないから。それについて酷く悩んだ。自分はどうしたらよいのだろうと。私が当時も今も尊敬するヴァイオリンの先生にメールをしたら「まず、くるみさんが幸せになる事が大切です」と返事があった。私はこのドイツ生活の間そのことをずっと考えていて、この2年くらいでようやくその意味を分かる事ができた。良い事も悪い事も伝染する。これじゃないかと。「願えば叶う」を信じて今まで生きて来ている。これからもそう。ただ単純に「平和」を願っていきたい。ただ、そんな今でもあるリビアでの戦争。悲しい。自然災害によって命を失った人があれだけいるのに、この世の中にはまだ戦争がある。でもそれだけじゃない。国内でもこんな惨事の中でも義援金が盗まれたり、暴力があったり、殺人があったりする。これも「しょうがない」んだろうか?毎日の生活の中でただひたすら「いいこと」を願いながら生きて行くのが、今私ができること、な気がする。でも自然災害については?あんな津波がやってくるなんて。。。ミュンヘンでは外に出るとよく「日本、地震、原発」という言葉を耳にしたり、新聞の広告や駅のホームの電光掲示板で見たりしたけれども、「あなた日本人でしょ?大変ね」と声をかけられることはなかった。見られている感はあっても。日曜日に訪れたTegernseeのカフェで初めて「あなたたち、まさか日本から来たのではないわよね?(私には彼女がこう言っているように聞こえた)」とお会計の時に聞かれた。「そうです」と答えると「私たちはあなたたちを想っています。あなたたちと共にいます」と言われた。それをきっかけに私もブログで私が今思っている事を書いてみようと思った。

この文章を書いてすでに4日間経ってしまった。昨日は教会であったミュンヘンフィルによってのチャリティーコンサートへ。(被害にあった子供たちを助けたいというのが趣旨だった)すごい人。リンツのオーケストラにいるまゆみちゃんのブログで多額の寄付をしてくれるひとがいることを知ったけれども、ここでもそうだった。大勢のドイツ人に囲まれて、逆の立場だったらどうしていただろうと考えた。すごい。とても多くの人が日本のことを考えてくれている。涙がでる。そしてこのコンサートの後には前の広場で反原発のデモがあった。

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春が。


Ein Japaner bleibt in Japan

いのちのブログ

COMMENT(2)

くるみちゃん、興味深い文章をありがとう。
心配していたよ!
最近yoskeさんとこのことについてfacebookで日々やりとりを
している。yoskeさんのblogに代表されるように、
日本政府は本当のことを国民に伝えないようにしている気がする。
くるみちゃん、1ヶ月の子を連れて今日本に来るのはあまりおすすめ
しない。沖縄や、九州あたりならいいけれど。
東京なら凄く心配です。
とりあえず、飲み水をちゃんと確保できなければ難しいかも。
不安があったらすぐ連絡ちょうだいね。facebookでもなんでも。
どうなってるか伝えられると思う。
そう、くるみちゃんと家族がまず幸せになることが大事。
近いうち逢えますように。

nahoちゃん

どうもありがとう。
洋介さんみたいにタイムリーに自分の意見を書ければよいのだけれども、悶々としたり、意味も無くいろいろ考えてしまってなかなか書けなかった。でもとにかく自分の意見や気持ちを吐露する事も大事だなって思ったよ。誰かの事、じゃなくて自分達の事だからかな。。。今日も母から「帰ってくるのはどうかしら?」と言われたよ。何かあったらメッセージします。ありがとうね、nahoちゃん。

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PROFILE

Kurumi Shigenaga

2001年ベルリンフィルへの情熱のためベルリンに移る。
2006年より今現在に至り、西海洋介の元でクリエイティブアシスタントとして働く。
ドイツ語、英語、イタリア語が堪能。
メゾソプラノ歌手としても活動。
趣味は笑う事、食べる事、料理、ヨガ、映画鑑賞、たまにのテニスと卓球。

Came to Berlin in 2001 driven by her love and enthousiasm for classical music and the Berliner Philharmoniker.
Started to work for Koiklub in 2006 as a creative assistant and does so until today.

She is active as a mezzo-soprano singer, loves cooking & food, going to concerts and cycling thru whole Berlin. She is a language pro in German, Italian and English and of course Japanese.

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