そうか。とふと冷静に考える。僕のブログを今まで見てきてくれた人には311以降の僕のポストを見て暴走と取りかねない事に人からの話で気づいた。確かに。そう取られても仕方ない。原発と震災の事以外何も書いていない。だから説明が必要だと思った。まず最初に僕が今こうして書いている事は自分の何処から来ているのか。それはものすごい危機感だと思う。その危機感は何かと言うと、このままいくと日本が将来長い間謝り続けなくては行けない国民、不信の目で見続けられなければ行けない国民になってしまうという危機感だと思う。いわゆる日本という国、日本人という国民のブランドバリューの低下。それはとてつもなく恐ろしい。
僕はベルリンへ来てから、と言うか正確には日本を出て旅を始めてから自分を作った。最初に訪れたタイの島に2週間滞在した時に一緒に過ごしたヨーロッパ人達5人とずっと話をして泳いで食べて遊んで暮らした。最初はよかった。話す事が何でもあった。家族の事、仕事の事、友達の事、今まで訪れた場所、食べたもの、電化製品の話、電動歯ブラシの話、音楽の話、映画の話、日本の話。それがいつぐらいだか覚えてないけど、ある日から話す事が無くなったことに気づいた。ネタがなくなった。引き出しの中の物を全部出しちゃった後のように。
それで考えた。なんだこれは?今まで自分の意見を持ちなさいと教えられ、自分でもその自覚を持って生きてきたはずなのに、なんであの場面でなにも自分の意見を言えなかったんだ?っていうかこれは何か?今までこの島で過ごしてヨーロッパ人に話した事って言うのは意見じゃないのか?あ。そうだ、今まで話してた事は意見なんかじゃまったくなくて、「情報」だったんだって事に気づいた。
それからは毎日どうしたら意見が言えるようになるのかを胃が痛くなりながら考えた。自分で意見だと思っていた事が実は上っ面の情報だった。なんだそれ?って言う頭のスイッチがかちっと入れ替わった瞬間が旅の間にあった。そこから考え始めたと言っても過言じゃーまったくない。僕はそんなだらしが無い人間だ。あーそーだ、そーだ。僕は会社で働いている時に(ぱりっとかちっとアメリカの会社でした)「西海さんの生き方は逃げと迎合」ってなんかの時に言われて三年くらい心で泣いてた事があった。(その頃の写真を見ると顔が違う)でもま、今考えるとそう言われても仕方ない生き方だったとよく思う。今でも書いてて辛いけど。
それでベルリンへやってきた。世界一周旅行のはずだったのに色々と考える事があって旅を止めた。要は旅を続けても僕には意味が無いと思ったからだ。それよりもどこか一カ所に足場を固めてその場所の事を深く知りたい。その場所に住む人と深く関わりたい。ひいては一人の大人として認められるような意見を持ちたい。そんな衝動だった。
だからベルリンへやってきてからはいろんな所に頭を突っ込んだ。人が集まる場所に毎晩出かけては自己紹介と握手で数年間を過ごした。どんどん話をしてぶつかった。ま、海外へ出た日本人(何人でも同じだって言う事が今となっては分かるけど)最初に陥るのが自分の国を嫌いになる事だ。何かにつけて日本のあれがいやだ、これがいやだと言う視点で世の中を見始める。その次が今自分がいる国がいやになる。ドイツに比べて日本はこんなに良い、こんなに進んでいるというように。僕は16でアメリカ留学が終わった時まさにこんな感じで日本帰国が最高に嬉しかった。あこがれの日本へ帰国!だからその後に訪れる次のステージ、何処でも良い所もあれば悪い所もあるというグローバルな視点に心の底からたどり着く事無しに。
僕がベルリンへ来た時に、僕はそのアメリカ体験をすっかり忘れて一番最初の日本嫌悪のステージになっていた。ま、そんな単純な事ではないけど大きく見るとそうなる。それこそ熱い発言をその当時自分で作ったホームページや掲示板でがんがん書きまくった。一時帰国するといわゆる耳に痛い事だろうとなんだろうと今のおれはこう考えるんだーーーーと、かなり熱く誰に対しても語っていた。(その当時の人たちに悪い気持ちで一杯です)その結果すごく傷つけた事もあるし、自分も傷ついた。それでもその当時のそのなりふり構わず人の懐に入ってぐちゃぐちゃにして、その結果自分もぐちゃぐちゃにされてって言うプロセスが自分の成長にはすごく必要だったんだって今は思える。
そこで911が起こった。911以降、世の中の仕組みが一気にグレイになった。今まで正しいと思っていた事がどうもそうではないらしいという事が周りに沢山見えるようになって行った。そんな映画も沢山あった。そんな文章も沢山読んだ。そんな事件も沢山あった。そんな不明瞭で不確かな世の中に生きていて、これをどうにかしようと立ち上がるほどの力は僕には無かった。そして世の中の流れは「どうがんばったって自分で変える事なんか出来やしない。どうせどれが正しくて正しくないかなんて誰にも分からないんだから」と言う方向に流れて行った。音楽がそうだった。それまでベルリンの何処のクラブに行ってもかかってたり聞いてたのは考える音楽だったと思う。マインドに響く音楽。それが主流だったと思う。それが911以降、僕に言わせると馬鹿な音楽がかかるクラブがメインになって行った。ピンクの帽子を斜めにかぶり、朝まで踊り続ける事を目的とした機能音楽。今の不安を忘れる為の音楽。どんどん世の中がそういう風になって行く事で、それまでベジタリアンだった友達達も肉を食うようになって行った。安く飛行機券を買ってガスを垂れ流してバカンスに行く事が普通になった。ガスは無くなる事が分かっているし、飛行機はこれから存在するのかどうかも分からないという報告もあるほどなのに。911も狂牛病もチェルノブイリももう過去の事なのかのように。
僕もそれに乗った。僕も掲示板やホームページで耳が痛い発言を書き込む事を止め、「自分の行動を通して思想を示す事が唯一の可能性」と語って今まで生きてきた。僕の行動を通して誰かが見てくれればそれは世の中に取っては良い事だと言う言い訳で。勿論それでもその中の一番近い仲間内では話はずっと続けていたし物事は考えていた。でも馬鹿になる世の中の流れはもっと強かった。言い訳じゃないけど。どんどんどんどん豊かな生活、無駄と便利で成り立つ目先の物質の力は強い。料理を載せるお皿をあっためるだけの為にオーブンにお皿を入れた。帰って来た時に寒かったらいやだからって言うだけでセントラルヒーティングをつけっぱなしにした。シャワーも勿論毎朝入った。匂いが好きなシャンプーをわざわざ外国から買物するようになった。合わせてベルリンのスーパーも土日は完全休業だったのに徐々に土曜日も夜まで。日曜日も夕方まで営業するようになって行った。それを歓迎する雰囲気が世の中に蔓延して行った。
そんな世の中が続く訳が無いって言うのが今回の大震災と原発だと思う。だから僕は今こうしてブログにまた書き始めている。自分が今何を感じているかを正直に正確に。以前から比べて学んだと思うから出来るだけ傷つける事が無いように。またまた言い訳じゃないけど、それでも僕らは矛盾の沢山ある世の中で生きているのも事実だ。今この瞬間行っている事も突き詰めれば矛盾が沢山ある。ずっと純潔でいる事は不可能だ。でも僕はこの今日本で起こっている事をチャンスとして今まで「ちょっとおかしい」と感じてた事や物事に対して口と身体で態度を表明しないととんでもないことになるって言う危機感がある。それは外から黒船がやってきたり、マッカーサーがやってきたり、ゴーン社長がやってきたリって言う方法じゃなくて自分たちの手で自分たちのビジョンで作って行く過程を得ないとそれは何も学べないと思う。それはみんなもうすうす分かってるんじゃないかと思う。それは出来るだけ周りを見渡していいアイデアがあったら出来るだけ取り入れて、反対意見や異物に対しても寛容になるだけの度量を持って、閉鎖するのではなくて復興の為には逆にどんどんオープンにして(これはTPPの話とは別)今まで人間が学んだ知恵を最大限利用して作られるべきだと思う。それに対して何か言う事が今の僕に出来る事だと思うし、今までこうやってベルリンっていう所で生活を不自由無く、というか豊かに送らせてもらえて、尚かつ、日本人という事で尊敬されるような世界でのポジショニングを作ってくれた自分の国に出来る恩返しだと思う。勿論次の世代へ良い物残したい。これからも書きます。どうぞよろしくお願いします。
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